福島原発事故特集

福島原発事故・4
被曝に対峙し対決する運動を

大震災に続く福島第1原発事故を契機に、あらゆる問題がその土台を露呈して揺れ動き、破綻をし、機能不全を起こしている。ここでは、被曝と背中合わせの原子力発電所での労働問題についてまずとりあげ、原発事故による被曝に苦悩し苦闘する福島現地の活動と支援連帯の運動、さらに、ホットスポットといわれる柏を中心とする地域や東大キャンパスでの取り組みについて報告する。

T 被曝下の労働運動

1、現在の労働問題の縮図としての原発労働

1)東電の被曝労働

今回の震災を契機として、被災地では派遣労働者への派遣切りや有期雇用労働者の中途切り・雇止めなどが集中してかけられている。この間の原発体制維持の「綻び」が露呈し、それを法に違反して覆い隠そうとする動きが顕著である。
東電の原発作業員の「調達」は20次にも及ぶ複雑怪奇な下請け構造で支えられ、下にいくにつれ賃金はピンハネされ、法の保護も希薄なものになっていく。2008年では社員約1万人弱に対して社外工は7万人にものぼる。ここでみられるのは企業の責任を曖昧にする間接雇用や偽装請負である(派遣先の企業責任者は後ろ向きで業務命令を出す、などとも言われている)。そして労働者は放射線被曝の下で危険・過酷な労働を強いられる。

放射線の作用は、「ここまでが安全」という基準はなく被曝放射線量が増大すれば、それだけガンや白血病を引き起こす可能性が高まると考えられている。ICRPも「合理的に達成可能な限り低くする原則」の「勧告」を出している。現場の労働者は外部被曝だけでなく放射線が体内から継続的に細胞を照射し続ける内部被曝の危険にも曝される。内部被曝からの保護のための「ホ−ル・ボディ・カウンタ−」を使っての体内被曝測定、測定資料保管などに対して東電側の杜撰な措置が問題になっている。危険、過酷な労働は過労死問題と同質ともいえるが、原発はより直接的に死と向き合わされながらの労働だといえる。
個人の被曝線量と被曝した人数を掛け合わせたものを「人・シ−ベルト」というが、スリ−マイル島原発事故後この数値は一時下がったが1990年代になると原発の老朽化やデ−タの改ざん問題などで再び上昇を始めている。そしてその中で圧倒的に多いのは下請け労働者の総被曝線量である(2008年では総被曝線量80シ−ベルト中約95%以上は下請け労働者の被曝)。

2)原発労働を維持する構造と労働の実態

原発の労働は300種類位もあるといわれるが大きくは3つに分類されるという。1つ目は特定の労働者が制御系や保安系の維持・管理を継続的に担う。下請け企業もこれに加わって原発施設内に事務所を構え仕事に従事する。このグル−プは累積被曝線量も多くなりやすい。2つ目は原子炉やタ−ビンを納入したメ−カ−が行う機械の検査や修理である。実際は下請け労働者が定期検査の期間だけ短時間の作業を行う。そして3つ目は多くの下請け労働者が担う現場の放射能を除染する清掃などを主とする作業である。
年に一度の定期検査では1基当たり1000人から1500人が従事させられ、人海戦術の下で危険な単純作業が命令一下繰り返される。張り巡らされたパイプからの放射性物質を含む水漏れをボロぞうきんで拭いたり、被曝した防護服の除染作業、パイプの補修作業、スラッジタンクでの放射性ヘドロかい出し、重要な計器の取り付けや取り外し作業。高温多湿の現場の中でノルマをこなす為には、防護服もアラ−ムメ−タ−もマスクも手袋も邪魔になる場合すら起こる。こんな劣悪な環境内では被曝率はさらに高くならざるを得ない。放射線管理手帳も渡されない場合もあり、何かあったら国民健康保険での治療を命じられ、労災などの持ち込ませないため会社側の指定病院受診が強制される。

2、被曝と労災

1)JCO臨界事故にみる下請けへの責任転嫁

JCO臨界事故は原子炉燃料の加工工程のプラントで起こされた(1999年)。直接中性子線を浴びた作業員2名は病院をたらい回しされ、最後は東大病院で亡くなった。当時を記憶する看護師は物々しい警戒だったと語っている。燃料加工工程は何次にもわたる下請け構造で維持され、JCOはその1つの歯車を担っていた。従業員は「マニュアル」通りか社内だけに通用している「裏マニュアル」で作業、上司への確認もしながら素手でウラン溶液を扱っていたという。
事故を起こした背景には、当時海外とのメ−カ−も含めた原発を巡る激しいコストダウン競争がある。「効率化」に向けての大規模なリストラ、定期検査期間の短縮、原発寿命の延長などの中で、弱い企業、弱い社員へと責任と危険を押し付け競争を勝ち抜こうとしてきたのである。原発労働は、派遣や請負労働など「間接雇用」で生ずる多くの矛盾をそのままそっくり抱え込み維持されてきた。

2)雇用差別の原発労働

原発の危険な労働を維持するには「差別された労働力」が必要である。天然ウラン鉱石の採掘は長らく「先住民族」や「黒人」など差別された労働者の強制労働で成り立ってきた。原発を支える構造にはこのような「差別された労働者」を抜きにはありえない。
日本でも3つ目のグル−プに対してはこの露骨な構造がとりわけ残されている。末端部分の「手配師」は、現地過疎地の農民や漁民、元炭鉱夫や全国の「寄せ場」から労働者を「かき集め」て斡旋する。これらの労働者は必要なくなればいつでも解雇できる有期雇用職員や日雇いの労働者である。地域労働者は「死を堆積し続ける労働」を続けながら農業や漁業などをやっていかざるを得ない。電力の消費地帯である東京などの「都会」ではこの構造は非日常化され隠蔽されている。 
                 この間全社会的に「間接雇用」と「有期雇用」が焦眉の問題となっているが、これら雇用での差別を率先して取り入れ、利用し、拡大させる犯罪的な役割を果たしてきたのが原発推進体制に他ならない。

3)命と引き替えの労災認定

電力会社の社員が労災で死亡した場合は3000万円前後の上積み保証金が支払われるというが下請け企業の労働者にはそれがない。差別を端的に示したものである。      嶋橋伸之さん(29歳)は浜岡原発で高卒後8年ほど勤務した。炉心の真下に入りセンサ−を取り付けるなどの熟練工で1つ目のグル−プの仕事を請負っていた。その後体に異変を感じ、2年後の1991年慢性骨髄性白血病で亡くなった。死後遺族はやっとの思いで彼の放射線管理手帳を入手。そこには8年にわたる毎月の克明な被曝線量と定期的な健康診断結果が書き込まれていた。見舞金を支払うから訴訟を行うなという会社側からの恫喝を拒否し、この手帳をもとに労災申請をし、94年静岡県の労基署は労災と認定した。彼の累積被曝線量は50.93ミリシ−ベルト。既に述べた福島原発の場合の5分の1である。
また2003年多発性骨髄腫で労災申請をした長尾光明さんの福島第一原発での被曝量は4年3ヶ月で70ミリシーベルト。欧米ではこの疾患と被曝の因果関係は既に認められていたが、日本では白血病以外の最初の労災認定例となつた。しかし東電に対する原子力損害賠償法による訴訟では東電側に立った文科省や御用学者の「証言」などにより2010年敗訴。長尾さんは既に2007年死亡している。
労災認定を勝ち取ったのはこれだけではないが、この2つの例からも現在の福島原発の被曝がいかに凄まじいかが明確に浮かび上がってくる。
原発訴訟でも勝利したのは高速増殖炉「もんじゅ」設置許可無効の裁判(2003年 名古屋高裁)、志賀原発2号機の運転差し止め裁判(2006年金沢地裁)のわずか2例のみであり、これらも上告審で敗訴になっている。国、行政、東電、多くの御用学者の証言が原発体制を支え、維持してきたのである。
本年4月には1ケ月以上前に起きていた被曝実態が暴露された。福島原発の事故対策拠点で働いていた19人の女性労働者がマスクを着けずに業務させられ、一人の女性は国の基準(女性の被曝限度は3ケ月で5ミリシ−ベルト)を大幅に超える17.55ミリシ−ベルトを被曝した深刻な事実である。

4)被曝に関するILO条約

放射能に関連する労働に従事する労働者はその被害から厳重に保護されなければならない。23条よりなるILO115号条約「電離放射線からの労働者の保護に関する条約」とそれを補足する114号勧告には、労働者に対して電離放射線による被曝を実行可能な限り低い水準のものとする、それに向けあらゆる努力を払うこと、最大許容線量、最大許容量はその時の知識に照らして絶えず検討し体内被曝の観点からも考えるべきであると強調している。この条約は18歳以上の放射性物質を取り扱うすべての労働者に適用される。日本はこの条約を1973年に批准しているが条約遵守は先に述べたように現場では生かされていない事が多い。法的に厳守しなければならない1ミリシ−ベルトの上限値緩和の動きは
安全の観点からではなく「現実の汚染に合わせ」ての方策である。その考え方が平常時の市民・住民の生活にも拡大され、とりわけ被災地の人々に対してこの間多くの混乱と不安をもたらしている。

U 被曝直下、福島での闘いと支援活動

3月11日福島県大熊町で原発が爆発し、20キロ圏内が「警戒区域」20から30キロ圏内が「緊急時避難区域」となり、さらにその後同じく「計画的避難区域」とされた飯舘村、それ以外の多数の高濃度に汚染された地域を含め、福島県はまさに被曝直下の「県」となっている。そして、その福島県では、県知事が山下俊一長崎大教員を「放射線健康リスク管理アドバイザー」に選任し被曝に対する指針を策定、実施してきた。

1、山下放射線健康リスク管理アドバイザーらの目論みと破綻

1)山下アドバイザーらは何をしようとしたのか

アドバイザー山下教員は、県内で行った講演で『放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしてる人に来ます。これは明確な動物実験でわかっています。酒飲みの方が幸か不幸か、放射線の影響少ないんですね。決して飲めということではありませんよ。笑いが皆様方の放射線恐怖症を取り除きます。』『ICRPの勧告により100ミリシーベルトを下回る被ばくは胎内児に心配の必要は全くない』『子供は毎時10μシーベルト以下であれば外で遊ばせて大丈夫、布団干しも換気も問題ない』との発言を繰り返した。要するに、100ミリシーベルトまでの地域は安全であり放射線への影響は考慮しなくてもよいと、宣伝して回ったのである。

4月11日、年間20ミリシーベルトを超えるとして飯舘村が「計画避難地域」に指定された(その経緯については別掲記事参照)。100ミリシーベルトを「安全」の基準としてきた山下アドバイザーらは、今度は福島県内の小中学校などの屋外活動の制限を、法令で定める「年間1ミリシーベルト」から「年間20ミリシーベルト」へと基準を緩和するべく政府に対する働きかけを強めたものと思われるが、文科省は4月19日県内13校に屋外活動制限通知を出した。しかし、4月30日小佐古敏荘東京大教員(放射線安全学)がこれに異論を唱えて内閣官房参与を辞任し、さらに5月23日、福島の父母からの猛烈な抗議を受けた文科省は、あらためて「年間1ミリシーベルト」への回帰を表明した。山下アドバイザーらの「年間1ミリシーベルト」から「年間20ミリシーベルト」への基準緩和・引き上げの目論見は破綻したのである。

2)緊急時・平時を弄んだアドバイザーの破綻、平時基準は1ミリシーベルト

年間100ミリシーベルトの累積残量を胎内児に心配の必要は全くない、とする山下教員を「放射線健康リスク管理アドバイザ−」とした福島県知事が、平時の小中学校などの屋外活動を制限する基準として「年間20ミリシーベルト」にすることには何ら不思議はない。しかし、平時の地域での被曝基準上限はあくまで「年間1ミリシーベルト」であり、県知事の権限で基準変更を行うことは出来ない。緊急時に紛れて平時の地域住民を被曝の危険に晒すことは、違法な犯罪行為といわねばならない。

緊急時と平時の地域が併存する福島県では、政府が事故後緊急時の避難に適用した「年間20ミリシーベルト」の基準値が、平時を適用するべき地域にも「意図的」に混同させて持ち込まれたというしかない。県内の小中学校などの屋外活動を制限する基準値に「年間20ミリシーベルト」を設定することは一般住民への適用が違法であることはいうまでもないが、小さい子供や妊婦の「放射線感受性」が一般成人の3倍であることからすれば、「小中」校で基準緩和を図った文科省、山下アドバイザーら県当局の責任は極めて重大であるといわねばならない。

緊急時の基準値として政府が参考にしたICRPの年間20~100ミリシーベルトは緊急時の指定を受けた地域についてのみ適用されるものである。年間1〜20ミリシーベルトは緊急時の対象区域で平時に返すときの基準なのである。

2、「避難勧奨」地域での取り組み

福島現地では、原子力災害対策措置法に基づき、総理大臣による「原子力緊急事態宣言」が発令され、「警戒区域」「計画避難区域」が指定された。そして現在、その直周辺の高濃度汚染地区(ホットスポット)の問題が喫緊の課題となってきた。

1)伊達市の「年間20ミリシーベルト」を超える地域

福島県伊達市等の測定で、計画避難地域の基準とした年間20ミリシーベルトを超えると予想される地域が伊達市に点在することが明らかとなり、6月11日には政府と県は住宅などを対象に線量の測定を始めた。その結果、伊達市東部の霊山町石田地区など3カ所で年間20ミリシーベルトを超えることが明らかとなった。6月12日、国の原子力災害対策本部は霊山町住民に対する今後の対策についての説明会を行った。800人の住民から子供の問題や避難に伴う補償の問題が出されたが、本部は東京に持ち帰ると答えたのみであった(NHK)。

2)「避難勧奨」地点の指定

6月20日、原子力災害対策本部は伊達市と協議の上で、この霊山町石田地区を「特定避難勧奨地点」として、市内の別地区への移転を希望した、対象44世帯の内13世帯が「自主避難」の手続きを行った。この間地元住民は地域全体の移転を政府、行政が責任をもって行うことを求めてきた。しかし政府はあくまで個人住宅に限っての移転にこだわり、伊達市の仲介により市営住宅への移転となったが、移転に伴う補償の問題は積み残されている。(7月10日現在、対象113世帯の内71世帯が移転を希望している。)

3、「避難勧奨」地点の測定と対策

以上の経緯を踏まえて、我々は福島現地、福島市、伊達市での測定を行うこととした。7月2日新幹線で福島に向かったが、本郷では0.19、0.17であった。福島までの中途での線量は各駅で、上野0.14、大宮0.14、宇都宮0.17、郡山0.21、0.41、0.15、福島0.14、0.09 (μSv/h)で、郡山の手前が多少高かった。

福島市や伊達市の測定状態は次のとおりであった。

1)福島市渡利地区での測定

渡利地区の測定
福島市渡利地区の線量測定を7月2日午後に行った。
*渡利地区へ行く途中、阿武隈川沿いの国道では線量は時折多少高めで0.3〜0.17で推移した。
*渡利地区に近づくや0.4、0.6と高めになった。渡利地区に入ると線量は急に高くなり、問題の市営住宅間にある公園の柵の前高さ1mで2.81〜2.60μSv/h、高さ5cmで3.82μSv/h、
*住宅に隣接した側溝(U字溝)では、溝上で6.0溝底で12.2μSv/h 警報が鳴った。
*また、渡利山際集会所前では高さ1mで3.1μSv/hであった。
これらは、発表されていた数値と殆ど変わらない結果で、計画的避難地域の飯舘村に相当する高線量地域といわねばならない。

渡利地区の住民は
測定しているところへ年配の女性が数人近寄ってきて数値を聞かれ、数値が高いことをお知らせした。最近役所が来て測定していったが、その後何にも言ってこないが、どうなっているのか。放射能が高いがどうだこうだといわれても、自分たちは行くところがない。年を取っているのでこのままここにいるしかないと話が出た。若い女性や子供達もきて線量計をのぞき込み話しかけられた。若い女性は線量が高いことを聞いているらしく、数値を気にしていたが、議員や運動団体の名刺を見せながらどうしたらよいか尋ねられたが、こちらが在京ということでしっかり話をするまでにはならなかった。簡易線量計を役所が貸し出しているが申し込んでも月末まで待てといわれたとのことだった。渡利地区は、「計画避難地域」に相当する被曝地域であることは、この簡単な測定によっても明らかで、早急な避難や放射線の除染等の安全対策が求められる。

福島市中心街住民有志による除染作業
福島市のパセオ通りで、6月22日地元商店街の人々を中心に、通りの植え込みの表土を取り除き、ひまわりを植える除染作業が行われた。建物や路面を高圧洗浄機で洗い流す作業はできなかったが、地表の放射線量が4分の1の0.32μSv/h減った場所もあった。表土を削ったあとには汚染のない土をかぶせ、放射線の除染を期してひまわりが植えられた。四トントラック1台分の削り取った土の処分は、事前に市に相談したが枯草以外は引き取ってもらえず、県内各地の除染作業を支援している同市山口の常円寺住職が寺の敷地に仮置きしてくれることになった。住職のAさんは「今しなければならないのは除染。本来は国が先頭に立ってやるべきだ」と行政の姿勢を批判した。(福島民報)

2)伊達市での測定

市内西部から東部霊山地区へ
7月2日、福島市の東北東に隣接する伊達市内の測定を行った。伊達市は、「計画避難地区」に指定された飯舘村の西北に隣接し、飯舘村に近い霊山地区が先日「避難勧奨地点」になったばかりである。数値の単位はμSv/h。
*伊達総合支所で0.41、近くの東北自動車道へいく途中で0.15、0.14、裏の山道で027、0.54、
*伊達市役所本庁前。高さ1mで0.60〜0.80、芝生上5cmで1.14、この時市庁舎前に設置されている線量計は0.8であった。道路で0.14、,0.37、0.39、0.41
*霊山総合支所前で0.89、0.99。相馬にいく国道115号線沿道で0.14、0.71、0.99、1.31、0.41、1.04。道路は山道で沿道は山と谷が入り乱れ、所々に住居が点在しているが、線量も高い低いを常時繰り返していた。
*霊山山の入口にある休憩所の沿道で1.26、1.41、木のベンチ上で3.27、3.46、草むら高さ5cmで4.6であった。登山口を登り子供の村では、2.24、0.41、2.61、草むら5cmで10.40であった。
*南東部の川俣村に行く途中の月舘総合支所近くで0.80、0.49、沿道では0.21、0.19、0.67、0.14、0.17、道路沿い1.74、1.09草むらで10.0の所もあった。

測定の結果を踏まえて
*事前の情報どおり、霊山地区は高かったが、地区の集落まで入っての測定をしなかったため、家屋の回り、低地や溝、木立の茂み等線量が高くなる部分での測定が必要であったと思われる。霊山地区が「避難地区」としての対応が必須なことが、この測定によっても明らかになったと思われる。今後精密な濃度分布図が作成されねばならないだろう。
*測定しながら、地元の人達が通常の生活を普通に送っているのを目の当たりにした。この地域は圧倒的に年間20mSv(2.28μSv/h)から年間1mSv(0.12μSv/h)の只中にあり、日常生活で微弱なあるいは気付かずに強い放射線被曝下にあることは間違いない。ここでの安全な生活を確保するためには、まず寝室や居間等長時間滞留する空間を年間1mSv(7/24訂正、職連)以下に保持することが必須である。そのための放射性物質の除去作業が必要である。

3)伊達市・福島市等の対策、除染作業

伊達市、簡易線量計の配布貸し出しと全域除染宣言
伊達市では、市内の保育園児、小、中学生約8000人全員に小型線量計を7月中に配布することとした。また、放射線量の簡易測定器を町内会単位で貸し出し、各家庭の庭や屋内での線量を測定出来るようにした。特定避難勧奨地点に指定されなかった場所について、市は住民が受ける放射線量を出来るだけ低くするため、市内の全域を対象に放射性物質を取り除く除染作業を行うことを決めた。除染作業は住宅地や学校の周りだけでなく、道路や山林なども含めて行う予定だという。当面、除染の費用を市で負担することにしているが、最終的には東京電力や国に負担を求めていくとしている。伊達市の仁志田市長は7月4日「住民が住むところから優先的に行って、最終的には山林も含め除染していきたい。何年かかろうと、市内全域を除染して安心して暮らせる伊達市を取り戻したい」と表明した。

伊達市で除染作業実施
7月3日、伊達市では除染アドバイザーらによる除染作業試験が行われた。市は試験結果などを基に、除染計画やマニュアルをつくり、市民や企業などの協力を得ながら除染作業に取り組む。試験初日は、市内保原町の富成小でコンクリートやプールの水の除染試験などが行われた。市が除染アドバイザーに委嘱した元原子力委員会の田中俊一氏や、同校の保護者と教職員等のメンバーら合わせて約100人が参加した。作業では、校舎の窓ガラスやベランダなどを高圧洗浄機で洗い、デッキブラシで磨き、学校周辺では草刈り機で放射性物質が付着しているとみられる草を刈った。校舎前のコンクリートでは、電気カンナなどを使って表面を削る試験で、放射線量が半分以下になることなどを確認した。プールにたまっている水をくみ上げ、ゼオライトと凝固剤を使いセシウムなどの放射性物質とコケなどを取り除きフィルターを使って浄化した。放射性物質は飲料にしたり、海水浴をしたりできるまで低下した。(福島民報)

福島市全体の除染計画、早期に策定
7月8日、福島市は市役所で開かれた市災害対策本部会議で、放射性物質を除去し市全体の放射線量を低減する「市ふるさと除染計画」を策定することを決めた。今月中旬にも渡利、大波の両地区で説明会を開き、除染をスタートする。計画では、道路や農地、河川、公園、民家などで優先順位を決めて除染する。作業は今年度が中心になるが、市全体が対象になるため計画期間は数年から十数年になる見込み。除染は表土除去や高圧洗浄機などの手法を予定している。民家の除染については市が作成したマニュアルを配布し住民に除染してもらう。年度内実施分の第一次計画は8月上旬に策定する。策定に先立ち、放射線量の高い渡利、大波の両地区で実験的に除染作業を始め、効果的な手法などを計画に反映させる。(7月9日福島放送)

4)福島大学の取り組み

福島大学行政政策学類学類支援室主催の学習会、大学の除染作業
6月3日「福島における放射能除染のあり方について」という学習会が福島大学行政政策学類学類支援室の主催で行われた。学習会は、福島では一般公衆の年間被ばく限度量1mSvを大きく上回る放射線量が計測されており、子どもが受ける年間放射線量を1m Sv以下にすることを目指すという方針が協議されていることから、放射性物質を家庭、学校、公園等からどのように除染していけばいいのかをテーマとして行われた。講師は元原子力委員会委員長代理の田中俊一氏で放射能除染の基本的な考え方や除染の具体的方法等について講演した。 また、福島大学は7月初め、高校3年生の親からのメールに対し           「福島大学の除染等に関するご照会につきまして…・構内の放射線量計測を継続し、ホットスポットを調査するとともに、原因となっている落ち葉や土砂等の除去を順次進めています。・金谷川キャンパス内の放射線量を低減させるため、U字型側溝に溜まった落ち葉や土砂等の除去と洗浄作業を実施いたします。(工事期間:平成23年7月6日〜平成23年8月2日)・学生の往来の多い、講義棟と大学生協の間となっている中央広場(屋外・インターロッキング)の除染を行います。・除染作業に併せて構内の除草を行います。」とキャンパスの除染を行うことを表明した。

福島大学教員有志・原発災害支援フォーラムの取り組み
福島大学教員の有志でつくる福島大学原発災害支援フォーラムは、大学に対し2度の提言を行い、学内での測定結果を公表してきたが、6月6日、佐藤県知事に対して次のような要望書を提出した。
「低線量被ばくの健康影響に詳しい専門家として、次の二つの立場の学識者をそれぞれ放射線健康リスク管理アドバイザーとして招聘してください。(1)被ばく量が少なくなればリスクは減るものの、どんな低線量でもリスクはゼロでないとする立場(2)内部被ばくのリスクを重視し、低線量であっても決してリスクは小さくないとする立場 この二つの立場は、低線量被ばくの健康影響はほとんどないと主張する現アドバイザーの山下俊一氏らとは異なるものです。」「…一面的な情報だけを流し、見せかけの「安心」を作り出しても、長い目でみれば、県民の健康を守ることにつながるとは思えません。」とした。
さらに、「福島県は、公衆の被ばく線量が年間1mSv以下に収まることを短・中期的な目標とし、それに基づいた具体的な除染計画(表土の除去、高圧洗浄など)を迅速に作成し、公表してください。」と要望した。
福島県知事による長崎大山下教員の「安心・安全キャンペーン」に対し、政府の指定する緊急事態対象地区以外での県民の健康が守られねばならないことを、福島にある大学の立場から批判し鮮明にしたのである。福島県民の「放射線影響に関する健康管理調査」は、平時の公衆の被ばく線量を年間1mSv以下とした法的規制に最低則るものでなければならないことはいうまでもない。

被曝は、福島から関東等全国へ
チェルノブイリ原発事故(1986年)では原子炉爆発炎上後年間約5mSvを避難地域とした。またアメリカでの避難勧告レベルは年間10mSvであった。しかし、福島原発事故後、日本では年間20mSvを基準として強制避難地域を設定した。4ヶ月余経った現在、再爆発の可能性を残したまま事故は収束せず、緊急時避難地域以外の地域での被曝線量が年間1mSvを超えて年間5m、10mSv以上を計測しているところさえ各地で報告されている。年間1mSvの「平時」の法的規制にあるが、このような地域が多数存在することが明らかとなってきている。
福島県内の「緊急避難地域」外の平時地域、そして全国とりわけ関東地方、宮城県等の「ホットスポット」は年間1mSv〜20mSvの中にある。関東地方を中心にこの現状と問題点を見てみる。

V ホットスポット

1、茨城県南西部、千葉県北西部から東京都東部のホットスポット
…3月21日の被曝

モニタリングに示された3月21日の汚染
この地域の各地の放射線量モニタリングで注目すべきなのは、3月15日から16日にかけて、数回短時間に計測値のピークを示す鋭い山が現れてからいったんバックグラウンドに近い値に戻ったが、3月21日早朝、前回ピークの値よりはやや低い場合もあるが、急激に高い線量を示してからはじりじり下がりながら、バックグラウンドより遙かに高い線量のまま推移してきた点である。
千葉県の松戸、野田、柏等6市で作る「東葛地区放射線対策協議会」で行った6月末の測定でも、柏市の7地点で0.30〜0.47μSv/h(地上0.5m〜1.0m)、単純計算で年間2.6〜4.1mSvの線量が検出されている。柏市は福島から遠く離れた地区だが、年間に換算したとき1mSvを大きく超える汚染が見出されているいわゆる「ホットスポット」(茨城県南西部、千葉県北西部から東京都東部に広がる)の一部である。
東大柏キャンパスもそのただ中にあるといえる。

様々な自主測定で更に明らかになってきた汚染の実態
東大柏キャンパスに隣接する国立がん研究センター東病院は、敷地内の連日の放射線測定結果を公表している。これによると3月20日以前は0.07〜0.10μSv/hであったが、21日以降敷地内の2地点とも0.7μSv/h以上の線量を含む結果を記録している。
さらに市民レベル、週刊誌等のメディアによる測定では、東大柏キャンパスも含め、各所で0.30〜1.1μSv/hの線量が普通に検出され、報告されている。同じ「ホットスポット」で柏キャンパスとも近い流山市等では地表付近で3.3μSv/hを超える線量を記録し、線量計の警告音が鳴り響く地点が各所で見つかっている。(文科省等の計算基準は<屋外8時間、木造家屋内(低減効果0.4)に16時間とすると、0.19μSv/hが年間1mSvとなる>というものであるが、この「基準」自体法的根拠に基づいたものとは言えない。純粋に時間あたりに換算すれば、0.12μSv/hで年間1mSvを超える。)

汚染物質の種類にも注意が必要
3月21日は早朝から雨が降り、上空に飛来していた放射性物質が地上に降り注いだものと見る見方が妥当と思われる。ではその直前3月20日頃、福島第一原発では何が起きたのか。公式の発表や報道では不明であるが、プルトニウムを多く含むMOX燃料を使用していた3号機のトラブル・損傷の可能性が指摘されている。放射線量とともに、飛来してきた物質の核種にも注意を払う必要がある。

2、年間1mSvの攻防戦、「低線量被曝」と「内部被曝」

ホットスポットの線量

年間20mSvを巡り「計画避難区域」「避難勧奨地点」にあたるかどうかが問題である地域に比べればやや低いものの、この地域の多くの場所が、年間1mSvを大幅に超えていることは行政の測定でも明らかである。(ただし文科省が1μSv/hを超える校庭の除染費用を出すとの報道があり、これが対策の基準であるかのような一人歩きをすることは許されない。)柏を含むこの関東の地域は先の福島の報告にあった、「除染」が最大の課題になっている1〜20mSvの地域と線量において大差はない。

「低線量被曝」と内部被曝の重大性

ここまで広範囲な汚染の中で、改めて「低線量被曝」と呼ばれる被曝と内部被曝の重大性が浮き彫りになる。これまで100mSv、20mSv、1mSvとして「基準値」が問題になったのは、あくまで「外部被曝」のガンマ線の線量である。ここでは「内部被曝」の問題は抜け落ちているといっても過言ではない。

この間テレビなどで「年間100mSv以下での発ガンリスクは、わずかであり問題ない」と繰り返され、その「根拠」として挙げられているのが、原爆投下後にアメリカが設置したABCC(原爆調査委員会)の広島、長崎の被曝調査である。大戦直後に組織されたABCCであるが、原爆投下直後の調査については明らかにされていない。現実には1950年前後から生存者についてすすめられた「調査」が現在の「根拠」とされているが、その後大きな不備が指摘され、批判が寄せられてきた。
ヨーロッパのECRR(「緑の党」などが組織した「欧州放射線リスク委員会」)の「2010年勧告」等でも厳しい指摘があり、それに即していくつかを見ると、このABCCの調査では、
*不適切な参照集団
研究集団と参照集団とがともに降下物からの内部被ばくをうけている。(参照集団とされた生存者の人々がすでに被曝している)
*高線量から低線量への外挿
細胞は高線量では死滅し、低線量で突然変異を起こす。
(だから高線量で発生した事象をそのまま低線量での事象に拡大延長して類推することは「科学的」ではない)
*急性被ばくから慢性被ばくへの外挿
先行する被ばくによって細胞の感受性は変化する。
(急性被曝と慢性被曝は全く異なる影響を細胞に対して与えている。)
*外部被ばくから内部被ばくへの外挿
外部被ばくは一様な線量を与えるが(単一の飛跡)、内部被ばくでは放射線源に近い細胞に高線量を与えうる(多重のあるいは連続的な飛跡)
* 線形しきい値無しの仮定(LNT仮説)
明らかに真実ではない。
(ECRRは、少なくとも内部被曝は全く異なるメカニズムを持っていると見ており、LNT仮説を批判する立場に立っている。)
*調査があまりにも遅く開始された
初期の死亡者数が失われている。最終的な死亡者数が正確でない。
*ガン以外の疾患が除外されている
入市被ばく(後の被ばく; later exposures)に対する全ての健康損害が無視されている。
(たとえば全身倦怠、心臓疾患などは全く被曝の影響ではないとしている。)

福島の子どもたちの尿から放射性セシウムが検出され、えさの汚染から肉牛への汚染拡大、更に人へと広がっている現実を見たとき、これまでのように外部被曝○○シーベルトのみで「安心・安全」を議論できる段階ではないことは明らかであろう。

3、東大をめぐる状況

柏・本郷・駒場

東大当局は3月15日から「個人的なデ−タ−は出すな」との箝口令の下、本郷(2ケ所)、駒場(1ケ所)、柏キャンパス(2ケ所)での放射性物質の空間線量率のデ−タ−の公表を始めた。このデ−タ−発表にも3月21日の「爪痕」が午前9時を境にはっきり表れている。柏キャンパスの放射線測定値はこれまでとは一変、柏(1)では0.12から0.74μSv/hへと急上昇、この影響は本郷地区へも及び本郷(1)では0.09から0.18μSv/hへ、本郷(2)では0.07から0.15μSv/hへと上昇した。
その「余波」は今でも続いている。

職連福島原発事故・3で、我々は東大当局による「東京大学環境放射線情報」に関する教員有志の批判とその意義、当局の対応に注目してきた。東大当局のwebページが「安心・安全キャンペーン」として行政に引用されていたが、この有志の批判に東大が記述を一方的に削除し、これを掲載していたいくつかの市も引用を削除した。
教員有志の第2回目の総長への要請文には
「記述の変更点とその理由を標記Webページに記載する」
ことが要求されている。東大当局は「安心・安全キャンペーン」の反省をしないままなし崩しに削除し、うやむやにしようとしているとしか見えない。さらに
「柏キャンパスのより多くの地点で放射線量や、土壌を汚染している放射性核種の測定などを行って汚染状況を明らかにし、その結果を公開する」ことが項目としてあげられている。これは東大を柏キャンパス、及び柏地区の汚染に対する取り組みへと、一歩進めることにつながると言える。しかし東大当局はこれに対して何ら応えていない。

文科省、大学モリタリングでの東大の汚染「順位」は全国で2位

・・・東大、柏・本郷の測定一部「中止」
文科省は各大学・高専などの協力を得て各大学などの構内に簡易型の積算線量計を置き各大学職員の報告を受け24時間あたりの測定結果を公表している。測定値は福島大が1位、2位が東大、東北大、山形大、信州大・・と東大は測定値公表以来、常に2番目の高い値を「維持」しているグループに属している。そしてこの値は本郷や駒場地区の東大側発表の数値よりいつも高い。
福島大学ではすでにこの夏にかけてホットスポットの調査や除染作業を行うことを表明している。東大当局は測定場所を増やすどころか4月25日には本郷(1)でのデ−タ公表を中止、それよりも数値が平均して0.1μSv/h以上低い本郷(3)へと変更、柏キャンパスでも5月13日、柏(1)の公表を中止し数値が平均して0.1μSv/h以上低い柏(2)へと変更した。総長への教員有志の要望書を始め、測定場所がわからないとの批判に対して、柏(1)は物性研本館北東側エントランス外部、本郷(1)は医学部総合中央館1F健康と医学の博物館前庭、とようやく明らかにした。

弥生キャンパス、本郷キャンパス、病院地区、柏キャンバスでの測定
東大職連は6月以来本郷と柏キャンパスでの自主測定を続けている。測定値0.115マイクロSv/時を年間1ミリシ−ベルトとし、バックグラウンドについては、文京区を含む東京都東部の自然放射線量は0.036から0.054μSv/時(日本の自然放射線量「日本地質学会」2004年 今井ら)を測定の前提とした。
バックグラウンドの数値について東大はこの値を本郷では0.05から0.1μSv/h、公表している柏(2)では0.07から0.10、発表を中止した柏(1)はこれまで0.1から0.2としていたが、7月15日0.08~0.16へと修正した。この理由が測定値は「小数第2位までの値を出していたから」という。低線量・内部被曝が大きな問題になっている渦中にこんな数値の操作は許されるものではない。バックグラウンドの値をなるべく高めにしたかったのかと見られても仕方がないだろう。

いくつかの測定結果について

@)柏キャンパス
我々が6月16日から測定したいくつかの数値は、(単位はμSv/h、地上約1m、数値は3回の平均値)
食堂内は常に0.14 物性研前と物性研の通りから奥に入った場所 1回目 0.17  0.30  2回目0.18  0.31  3回目0.18 0.35  (東大当局の柏(2)の測定値は0.27〜0.28)
A弥生キャンパス、本郷キャンパス
地震研(1号館)、農学部(2号館)、分生研、工学部(5号館)、病院地区などを中心に屋外、屋内での測定を続けているが、6月、7月のいくつかの場所での屋外での測定値を示す。
6月14日 地震研0.13 農学部0.14 分生研0.15 工学部0.16 病院0.17
7月11日 地震研0.15 農学部0.17 分生研0.19 工学部0.15 病院0.18
7月17日  地震研0.16 農学部0.19 分生研0.13 工学部0.18 病院0.13
他のいくつかの場所、工学部1号館前芝生0.19、理学部実験廃棄物設置周辺0.18、 安田講堂下0.19など
この期間の東大当局の発表する測定値は0.11~0.12前後である。           東大当局発表の測定値と較べると、なぜこのような差異が生じるのか。
東大は全国大学高専で2番目の高線量汚染グル−プに属している。この事実に対して高い数値の場所を消し去った数値にして、「安心・安全な」数値に見せかけようとする大学当局の意図が透けて見えるようだ。

7/8東京大学緊急討論会

7月8日応用倫理、哲学研究会による東京大学緊急討論会「震災、原発、そして倫理」が開かれ、多くの市民が参加した。主に100mSv以下の被曝について、緊迫した議論が交わされた。100mSv以下を「安全」と主張する医学部中川恵一教員に対する厳しい質疑が続き、参加した市民からの切実な質問に、中川教員が再考を表明する場面もあった。
ここでは「低線量被曝」「内部被曝」の問題がすでに大規模な現実となって前面に浮上していることが核心であり、「100mSv以下は安全」とする議論はこの現実を隠蔽していくことを意味する。

東大当局は「安心・安全キャンペーン」を自己批判し、汚染対策を明確にせよ。

改めて「汚染地域」における大学の対応として、福島大学と東大の落差を指摘しなければならない。
福島大学では各学類の各地域で定期的な線量測定の結果を詳細に実施し公表してきた。教員有志による測定結果も公表されている。さらに前述したように放射線測定の継続、ホットスポット調査とともに、除染計画の概要を示し除染作業を実施し、結果を明らかにしている。
東京大学は,福島大学に次ぐ線量の測定値を文科省に報告しながら、学内のデータ公表に当たり、バックグラウンド数値の操作も含めて、計測値が法定1mSv以下であるかのように装い、柏や本郷等各地域の線量は「健康上問題にならない」との「安心・安全キャンペーン」に寄与してきた。とりわけ、柏地域の住民に対する行政のキャンペーンに「根拠」を与えてきたものであるが、突如理由も明確にしないまま、「健康上問題にならない」の説明を削除した。法定1mSv以下が原則の「平時地域」で東大が果たしている役割が浮き彫りになろうというものだ。
東大当局はwebページでの「安心・安全キャンペーン」、測定値の公表操作を自己批判せよ。「最高学府」を自認したいのなら、柏、本郷、駒場の各キャンパスでの詳細な汚染の測定、線量のみならず核種も含めて自ら調査を行い公開すべきであろう。柏をはじめとする東大全学のキャンパスについて、法定1mSvを超える汚染に対し学生・職員・教員、下請の職員、大学を訪れる一般市民を被曝から守ることは大学の責務である。東大は除染計画を明らかにし、速やかに除染を行わねばならない。

福島原発事故・3
福島原発、被曝下の闘いを

福島第一原発事故は3ヶ月以上を経た現在、さらに危機的な状況へとさしかかっている。高濃度汚染水は満タンを目前にし、メルトダウンした炉心はすでに格納容器を破り、地下水から海水への汚染に拡大する可能性が高まっている。各地に広がった放射性物質は、広範囲の被曝をもたらしている。

T、「可能性」あるものは対策の対象に
……警告無視した福島第一原発事故の教訓

東日本大震災を踏まえた地震・津波対策を検討している中央防災会議の専門調査会は、6月19日、最新の調査などで発生の可能性が少しでも疑われる地震・津波存在が明らかになった場合、対策の対象に加えることを柱とする中間報告書の骨子をまとめた。

すでに広く知られているように、福島第一原発の地域に、貞観地震・津波(869年)の再来が警告されていたにもかかわらず、東電、原子力安全・保安院は何ら対策を取らなかったことが、今回の事故に直結したことが周知の事実となった。

1997年以来、石橋克彦氏(現神戸大名誉教授)等の警告してきた「原発震災」が、福島で文字通り現実になった。これまで一貫してこの警告を無視してきた政府も、5月の静岡県浜岡原発の停止に続き、6月7日IAEAに対し、原発の設計や構造に抜本的な見直しを迫る内容を含む報告書を提出した。

すべては、取り返しのつかない福島第一事故の現状からの対処であるが、従来ひたすら「安全」を強調し、「危険性」の指摘自体を封じ込めてきた電力会社、官僚、政治家、原子力専門家達も、この現実に一定の責任を認めざるを得なくなったといわねばならない。

U、原発の重層的下請構造
…被曝を下請・非正規労働者に集中させる構造

1)厚生労働省は6月20日、東京電力福島第1原発の復旧作業に従事した作業員を対象に東電が進めている被ばく線量検査を巡り、3月中に従事した約3700人のうち30人前後の下請け作業員の身元が特定できていないと発表した。東電が線量計の貸し出し台帳に記載された作業員名を協力企業に照会したところ「そのような社員はいない」との回答だったという。厚労省はこの期に及んでの逃れようのない「労働安全衛生法」違反を、「管理がずさんで遺憾だ」として東電に対して作業員を特定した検査をするよう「指導」して、事態の糊塗をはかっている。
しかし、20次にも及ぶ重層的下請構造のもとで、後で見るように圧倒的多数の下請労働者を被曝労働に従事させてきた東電が、「実態」を把握しているはずもないだろう。

2)労組が一翼を担った原発推進体制。
第2次大戦時の日本では、国家総動員体制の一環、電力国家統制法のもと日本発送電株式会社(日発)が、全国の発送電事業を行っていた。敗戦後の労働運動の拡大の中、1947年に結成された産別労組、日本電気産業労組(電産)は、統一交渉・統一賃金・統一協約を実現し、戦後の労働運動の中心にいた。

GHQと政府・電力産業の経営側は、この産別労組の解体を戦略に据え、日発の分割・民営化 を推し進め、発電・送電・配電を地域ごとの独占で担う「9電力」体制への再編を図り、東京電力は首都圏を対象とした地域独占企業として1951年創立された。1952年の電産争議で経営側は統一交渉を拒否し、労働側の電源ストに対しても一歩も引かず電産労組を追い詰め、産別労組電産は解体し、その後の日本の労組の典型となる企業別組合としての東電労組が成立した。「正規労働者」の企業別組合として経営の手厚い保護の下、「労働運動ゼロ」の「年功賃金制度」と「企業主義的統合」の東電労組の誕生であった。同時にそれは正社員労組として下請化を促進する勢力の誕生でもあった。1960年代、労災の多発する中、電力労組は現場作業の下請化を要求、街頭での配電工事等の危険作業は、下請け労働者へ肩代わりさせ、電力会社正社員は運転作業等中枢・中心の業務を担当させたのである。とりわけ原子力発電下では、強い放射線に曝される劣悪な労務作業は徹底的に下請化され、今日の原発現場での業務体制が作りあげられたのである。

今回明らかになった福島原発事故での下請労働者の被曝(後述)は、すでに恒常化していた重層的下請構造の中で下請労働者に被曝を押しつけるの態勢が表面化したに過ぎない。

V、「非常事態」の中で作業労働者の基準大幅緩和、
住民被曝の基準改変

1)作業労働者の基準緩和

事故直後の3月15日、厚労省は「特例」として、福島原発の作業労働者の被曝上限を100mSv(ミリシーベルト)から250mSvに引き上げた。これは「原子力災害対策措置法」15条2項の規定「原子力緊急事態宣言」により、「電離放射線障害防止規則」(電離則)7条2項緊急作業に従事する労働者の線量の上限を引き上げた、とするものである。(緊急事態解除宣言まで)。さらに通常時、年間50mSvの被曝上限を当面の間撤廃、5年間で100mSvの基準は維持するとした。

この250mSvがいかにすさまじいものかについては、以下の事例でも分かる。
国際的に比較して認定されるのが難しいとされる、日本の放射線被ばく者に対する白血病の労災認定基準においてさえ、1976年に出された労働基準局長通達で、
@相当量の被ばく
A被ばく開始後少 なくとも一年を超える期間を経ての発病
B骨髄性白血病またはリン パ性白血病であること
の三要件を定めている。相当量の被曝は
「5ミリシーベルト×従事年数」と解説で明記している。
さらに実態において、
原発・核燃料施設労働者の労災申請・認定の例

支給 慢性骨髄白血病 11ヶ月で40mSv 死亡
慢性骨髄白血病 8年10ヶ月で50.63mSv
急性単球性白血病 11年で74.9mSv

福島第一原発の現場では250mSvを超える作業労働者が続出している。そのため厚労相は内部被曝だけで100mSvを超えた作業員を作業から外すことを指示した。一方震災後緊急作業に従事した約7800人、3月に働いていた3639人、4月に働き始めた4325人について暫定的な線量確定を急ぎ、震災発生から3ヶ月経った6月13日時点で報告は2367人。6月中ににすべて測定するとしていたが間に合わず、30人前後の作業者の所在すら把握できなかったのは前述の通りである。「東電の安全管理の杜撰さ」は今に始まったことではない。

         

2)住民の安全基準は二転三転した

通常一般の人が浴びても差し支えないとされる1年間の被ばくの基準は1mSv、その根拠とされるのはICRP(国際放射線防護委員会)勧告である。これが緊急指定地域においては、区域と期間を限定して20mSvに緩和された。根拠はICRPが「緊急時」において、原発の周辺に住む人たちの被ばくが年間1mSv以下に抑えられない場合、多くても年間20mSvから100mSvの範囲にとどまるよう対策を講じるべきだとしているからというものである。その下限を計画的避難区域の上限としたものであるという。この「基準」を巡り住民からの批判、追及が政府・行政に向かい、「安全基準は10mSv」となったり「20mSv以下だから安心」等キャンペーンされ「被曝」「避難」の基準は混乱した。

文科省は年間20mSv、3.8μSv/hの根拠をホームページで以下のように説明していた。
「『暫定的考え方』の毎時3.8マイクロシーベルトというのは、どの程度の放射線量だと考えればいいのでしょうか。」との問いに対し、 「放射線防護の国際的権威である国際放射線防護委員会(ICRP)は、緊急時や事故収束後等の状況に応じて、放射線防護対策を行う場合の目安として「参考レベル」という考え方を勧告しています。緊急時は年間20〜100ミリシーベルト、そして、事故収束後の復旧時は年間1〜20ミリシーベルトの幅で対策を取るべきとしています。
「暫定的考え方」では、いまだ福島第一原子力発電所の事態が収束していない状況ではありますが、児童生徒等を学校に通わせるという状況に適用するため、緊急時の参考レベルではなく、復旧時の参考レベルである年間1から20ミリシーベルトを暫定的な目安とし、これをもとに、毎時3.8マイクロシーベルトという校舎・校庭の利用判断の目安を導いたものです。
具体的には、児童生徒が放射線の強さが毎時3.8マイクロシーベルトの校庭に1年365日毎日8時間立ち、残りの16時間は同じ校庭の上の木造家屋で過ごす、という現実的にはあり得ない安全側に立った仮説に基づいた場合に、年間20ミリシーベルトになることになります。
実際には、放射性物質は時間の経過とともに減衰します。実際にその後放射線レベルが下がっていることが確認されています。仮に3月10日以前の生活パターン(校舎内5時間、校庭2時間、通学1時間、屋外3時間、屋内(木造)13時間。3月11日以降はより屋内中心の生活となっていると想定される。)に基づく、より現実的な児童生徒の生活パターンに当てはめて試算すると、児童生徒が受ける線量は4月14日時点の校庭で毎時3.8マイクロシーベルトの学校の場合でも、多くてもICRPの参考レベルの上限である年間20ミリシーベルトの半分以下であると見込まれます。」というものであった。

このように現状でも何とか「安全」と言い張ろうとして、各所から強い抗議を受けた。文科省は5月27日、福島県内の学校に通う生徒について、「年間1mSv以下にすることを目標」と言わざるを得なくなっている。(後述参照)しかしこれを超える地域は、福島県内はもとより更に福島県外の地域を含め、極めて広範囲に広がっており、「避難」「対処」をめぐり住民と政府・行政との応酬が拡大している。この「原発事故」そのものについて「安心・安全」をあからさまに強調する「御用学者」は表舞台から退場しつつあるが、この中で「いたずらに住民を不安に陥らせてはならない」として、「被曝はたいしたレベルではない」とする「御用学者」が再度キャンペーンを行っている。

W「被曝封じ込め体制」の突破の闘い

今やどこの場面でも、労働者・住民は、行政とこれを補完する「御用学者」による「放射性物質などほとんどない」「被曝は問題にならない」「いたずらに騒ぎ立てるな」との「被曝封じ込め体制」と向き合い、これを打破することが自らの生活を被曝から守るために必要となっている。

1)飯舘村「計画避難」に至る攻防

当初政府が立ち入り禁止とした半径20km圏内(「警戒区域)から離れ、大部分が「計画的避難区域」(30km圏内)の外である飯舘村の「計画的避難」を実現したのは今中調査団、グリーンピース等の活動であった。

@福島県が選んだ「放射線リスクアドバイザー」長崎大山下俊一教員の「安心、安全キャンペーン」

長崎大山下俊一教員は、放射線高濃度汚染地区の飯舘村をはじめ県内の各地で、県の放射線リスクアドバイザーの地位を利用して、「安心・安全キャンペーン」を繰り広げ、住民を高度の汚染地域に封じ込めようとしていた。
4月1日山下氏が、飯舘村で村議会議員・村職員を対象とした非公開セミナーで述べたことを見よう。(今中調査団、グリーンピース等の測定調査が開始されていたが、その中で山下教員は以下のような内容を述べている。)
「一度に100mSv/h以上の放射線被曝で発ガンのリスク上がる。放射線は離れるほど影響はなくなる。福島第一原発から40km離れている飯舘村には届かない。問題は放射性降下物が降ってくること」「100mSv/hの放射線を1回浴びると100個の細胞が傷つく。1個くらい直すときに間違える時がある。1000mSv/hだと1000個の細胞が傷つく。3個くらい間違え、発ガンリスク高まる。しかしタバコを吸う方がリスクが高い。」「チェルノブイリでは消防士などが31人死亡、276人が急性放射性障害になったが、9割は助かった。」ただ「リスクの高い子供と妊婦をどう守るかが大切」と、子供と妊婦のみを例外とした。「現在20歳以上の人の発ガンのリスクはゼロ。この会場にいる人達が将来ガンになった場合は、今回の原発事故に原因があるのではなく、日頃の不摂生だと思って下さい」
山下教員は飯舘村以外でも全く同様に、福島県内各所で「安心」安全キャンペーンを繰り返してきた。

A菅井益郎氏による飯舘村サーベイ活動の報告(「労働情報」814・5(2011 5・1 15))

京大原子炉実験所の今中哲二氏を団長とし、菅井氏(國學院大学教員・市民エネルギー研究所)、広島大大学院遠藤暁氏、日大生物資源科学部小澤祥司氏等は、3月28日飯舘村のサーベイ活動に赴いた。
福島駅裏駐車場 2.2〜2.4μSV/h(以下数値はマイクロシーベルト毎時)、すでに極めて高い線量を観測。飯舘村では、車中で5〜6草むらで9〜10 鉄筋コンクリートの役場内で0.5〜0.6あった。測定データはまず村長等に報告し、対策に役立てて欲しいと話す。
村からは「あなた方のデータを使って国とも交渉ができる」と言われた。
28日 高濃度汚染地域の南部地域の調査、持っていったサーベイメーターで20を超えて振り切れ、測れないいところが何ヵ所か出たが、高レベルの放射線測定可能な電離箱も用意してあった。各所で汚染土壌サンプリングを行った。
夜の宿舎は日大生物資源が10数年かけてきた「村作り」のコア的建物。木造で、中でも3〜4、窓際では6〜7に上がる。通常は0.05くらいだから約100倍の線量であった。
夜、村の若い人々数人が訪ねてきて「本当のことを教えて欲しい」と聞かれた。
「できるだけ早く子供と若い人は避難した方がよいと思う」と話した。
翌29日 村の北半分の調査、レベルの低いところは2〜3だが、峠を登るにつれ線量が上がり、峠を越えて伊達市の方に下るとレベルが下がる。再び飯舘の方に峠を越えると、5〜7さらに10に上がっていく。

村役場で団長今中氏が村長に汚染状況を説明。
「できれば避難を考えたほうがよい」「できるだけ放射線を浴びない工夫を」と話した。
村長は住み続けたいという思いが強く、意見の食い違いが現れた。
調査団「公共の建物に入る前に放射能のついた泥を落とす」「線量の高い地域には立ち入らない」「子供と若い人にはなるべく早く避難をさせた方がよい」等と助言した。
村長「どうしても駄目なら村内移転もあるのではないか」…避難によって村や村民がバラバラになることを一番心配している様子であった。

後の調査団のまとめでは、両日で飯舘村130地点で空気中や土壌で放射線量を測定。北西部で5〜7μSV/h、南部で30μSV/hを記録。同村曲田地区で採集した土壌よりセシウム137を1u当たり2200`ベクレル検出。チェルノブイリ原発事故での強制移住基準1480`ベクレルを超えた。

4月13日、国会において調査団の報告会が行われた。専門家の多くが「直ちに健康に影響はない」と安全性を強調していることについて「問題なのは晩発性のがん、白血病、遺伝的影響だ」と批判した。
これらの活動により飯舘村の「計画的避難」が決まったといえる。

Bこの調査を行った菅井氏の論点…足尾、水俣に連なる公害の側面

日本の公害問題の原点と言える足尾鉱毒事件では、その被害に対して政府はほとんど対策を取らず、農民達は自力で銅などの重金属が混ざった表土を剥いで、田んぼの一角に積み上げ「毒塚」を作った。(渡良瀬川沿岸の鉱毒被害地にたくさんあった)農民側が損害賠償を請求しても政府は認めず、古河鉱業も「明治30年鉱毒予防工事命令以降、鉱毒は垂れ流していない」との態度に終始した。
 1971年、カドミウム米が発見され72年から74年まで鉱毒調停があり一応の解決を見た。古河は、20年の農作物被害補償15億5千万円、土地改良と山元の鉱毒対策を約束するも、工事が始まるまで10年かかった。汚染のひどいところは土を交換し、それほどでもないところは表土を下の土を入れ替えた。表面の腐植土がなくなり、工事終了までの補償は何もなかった。

飯舘の場合、放射能汚染の土が舞い上がる危険性あり、農業をやるなら土壌の入れ替えが必要である。しかし山林も牧草地も汚染され、面積200平方km、全面汚染除去は容易ではない。一反(約1000u)あたりおよそ300万円、セシウムの汚染度をどう評価するかという難しい問題がある。

他方福島原発では高レベルの廃液を海に垂れ流している。水俣病とつながる問題である。放射性物質は食物連鎖によって蓄積、濃縮されて将来的には危険なものになりかねない。水俣湾は埋め立てが行われたが、福島は湾ではないので流れ出た放射能は拡散する一方である。
土壌汚染も労働被曝も因果関係の立証困難性がある。白血病だけは、一定の線量を浴びたことが証明されれば労災認定になるが、他は直接被曝以外立証は極めて困難。

安全哲学を欠く原発政策…電力会社と官僚、原子炉メーカー、御用学者の四位一体で原発を進め、「絶対ありえない」と言っていた大事故へ。直前まで事故が数多く起きていた。1989年福島第二、3号炉での再循環ポンプの破損、91年美浜1号炉の蒸気細管破断事故、95年もんじゅのナトリウム火災事故、99年のJCO臨界被曝事故、2004年の関電美浜3号基パイプ破裂事故、2007年中越沖地震で柏崎刈羽で全機停止(2号基ようやく冷温停止)等。「今後起きうる問題のすべてを制御しきれない原発」を露呈していた。
菅井氏は足尾鉱毒問題に生涯をかけた田中正造の言葉「デンキ開ケテ、世界暗夜となる」を紹介している。

原発被災地の今後を考える参考として、
足尾鉱毒事件抹殺のために政府がやった渡瀬遊水池。鉱毒問題を埋没させ、治水問題にすり替えるために渡良瀬川最下流の谷中村住民四百数十戸、二千数百人を追い出し、「鉱毒難民」化、那須野さらに北海道の原野にまで移住させられた。…最終的に帰郷運動が実ったのが1971年、それも谷中村そのものではなかった。

Cこの調査以降

調査団の国会報告等を受け、4月22日、政府は福島第一原発から半径20kmの「警戒区域」(法的に立ち入りが禁止される)の外側で放射線累積線量年間20mSVに達する可能性のある福島県内5市町村の全域もしくは一部を「計画的避難区域」に指定。5月下旬をめどに避難を完了させる方針を発表。浪江町、葛尾村、飯舘村全域、南相馬市、川俣町の一部が対象。将来対象地域の安全性を確認した後、土壌改良などを行い、段階的に避難を解除する方針を示した。
飯舘村の住民にとっては先行きの見えない長い避難生活の開始であり、苦難の道の幕開けではあるが、「安全キャンペーン」のもとで居残っていればはるかに恐ろしい結果になったであろう。

2)各地の住民の要求と行政の対応

@5月23日、福島の住民を中心とした対文科省追及

去る5月23日「子ども達を放射能から守る福島ネットワーク」を中心とする対文科省交渉が行われた。これは、文科省が学校の線量基準を1mSv/年から20mSv/年に突如変更した責任を追及したものであったが、文科省官僚は「放射線管理区域」の意味すら答えられない始末であった。そもそも、「電離則」では、放射線業務を行う事業者は3ヶ月で1.3mSvを超える恐れのある区域を「放射線管理区域」とし、「必要のあるもの以外の立ち入り禁止」を規定している。住民より、福島県は広範囲に汚染が広がり、すでに75%の学校がその「放射線管理区域」基準を超えている点を追及された文科省は、対応すらできなかった。このような住民からの突きつけにより、前述の混乱から「1mSvが目標」への修正となったのである。

A6月30日対政府交渉

6月30日、5月の交渉に引き続き対政府交渉が行われた。この交渉では、出席した、文科省、厚生労働省、経済産業省の担当官への追及が行われた(東大職連も参加)。そこでは学校での年間1mSvについて、この数値には内部被曝量を含むとする原子力安全院に対して、経産省本部や文科省担当は含まないとする相反した対応もあり、さらに文科省はこの数量はあくまで学校内での被曝量として自宅や通学時を除外した目標値であると主張し、厳しく父母から追及された。
さらに、内部被曝について、6歳から16歳の10名の子供達の尿検査の結果(5月20〜22日で採尿、仏ACROで分析)全員からセシウム134,セシウム137が検出されたことがその場で明らかにされ、内部被曝の現実を無視してきた政府の責任があらためて厳しく追及された。検査を実施しなかったのは、検査機が手配できなかったからと釈明したが、世界中は日本政府の支援要請を待っているとの強い抗議を受け、政府関係者はあらためて検討することを確認した。

B福島市渡利地区の高線量と避難地域指定

この交渉の場では、さらに福島市の測定データで福島市渡利平ヶ森地区で面的な広がりを持って高い線量が報告されていることを踏まえ、当該地区は直ちに避難地域にすべきであると要請がなされた。この地域は3.20〜3.83μSv/hの線量であり、国の避難地域指定基準である年20mSvを超えるかそれに迫る線量となっており、国の測定ポイント漏れの問題も合わせて緊急の対応が必要ではないかとの要請に対しても、各省庁担当官より具体的な回答はなく、モニタリングを担当する文科省は測定のメッシュを5kmに細かくすることを表明したのみで、責任ある返答がなく持ち越しとなった。
また、測定線量の高い福島の学校では、夏休みの前倒し、避難、保養、学童疎開等が必要であるとの必死の提案がなされたが、明確な回答はなく無対応であった。

C福島市内の土壌汚染

福島市渡利地区の避難地域に相当する高い線量も問題に続いて、6月29日文科省測定による福島市内杉妻町(県庁)の土壌でセシウム134+137で32,000Bq/kg=640kbq/m2(換算係数20)で「移住の義務」区域(555kbq/m2)に相当すること、合わせて同じく県の測定で福島市大波で740kbq/m2、神戸大学海事科学研究科の山内教員の測定で、福島市小倉町で640kbq/m2、福島市渡利地区353kbq/m2等の高い数値が示され、県庁初め当該地区の移転等が早急に必要であると指摘がなされたが、文科省はじめ具体的な応答はなされなかった。
汚染土壌は「移住問題」だけではなく、野菜等の農産物の放射線汚染による内部被曝に密接に関連するものであり、早急な対策が求められることはいうまでもない。

3)福島原発から遠い地域での「ホットスポット」

福島原発から遠い地域でも線量の高い「ホットスポット」と呼ばれる高濃度汚染地域が各地で存在している。関東地区では、茨城、群馬,栃木、千葉の各県にまとまって点在するが、東京に近接する例えば千葉県北西部柏地区や東京都東部東葛等にも、年間に換算して1mSvを大きく超える汚染が観測される地区がある。各地で住民から独自測定した線量をもとに、行政に対して質問や要請が出され、自治体では独自の「暫定基準値」を作ろうとする動きが活発化している。埼玉県川口市では年間1.64mSv、野田市は1mSv等を「暫定基準値」としているが、1mSvを超える場合の対処方針が問題とされている。1年間の被曝量が1mSvを超えるかどうかがここで問題となっているが、年間の被曝量1mSvについて、検証してみる。

@「年間1mSv」被曝の上限値

平常時、一般の人が浴びても差し支えないとされる1年間の被曝線量は、2007年ICRPの勧告で年間1mSvとなっており、日本の法令でも1mSvである。(「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律」第19条1項に廃棄の基準、「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律施行令」と「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律施行規則」がありその中に「規則第1条第1項第2号ハ及び第5号ハに規定する線量限度は、実効線量が4月1日を始期とする1年間につき1ミリシーベルトとする。」とある。)

今回の事故で「緊急事態」として政府が年間1mSvの「基準」を20mSvに緩和したのは、「計画避難地域」を指定するに当たり、原子力災害対策措置法第15条2項に基づき「@実施すべき区域A緊急事態の概要B対象者への周知すべき事項」を公示したことによる。いうまでもなく、指定した「警戒区域」「計画的避難区域」以外はあくまで平時の区域としての扱いがなされねばならない。平時の地域へ緊急時の基準を持ち込むことはあり得ないことである。緊急時の区域として指定することによる制限を強制するには、それに応じた補償が必要となる。年間20mSvは原発作業者が白血病を発症したとき労災認定を受けられる基準であることをみれば明確であろう。

他方低レベルの放射線による発ガンリスクには、放射線量に閾値はなく放射線量比例してリスクが増加するという考え方が世界の標準である。(LNT仮説)。ICRPは正式にはLNTモデルを採用してはいないが、「閾値」の存在には否定的見解を示し、勧告等もその立場に立ったものである。これに対して「閾値は存在する。50mSv以下の被曝はなんら問題はない」との原発推進派からの「批判」も存在するが、逆に「低線量被曝は高線量被曝での被曝に比べて単位線量あたりの危険度がむしろ高くなる」との研究結果も増えているので、LNTは完全な合意とは言えないが、ICRPは「合理的に達成可能限り低くする原則」に則って「勧告」を出している。

現在の日本において基準緩和と、「この水準なら普段より高くても安全」という主張は、「安全を考えて」ではなく、「現実の汚染に合わせて」緩和しようというものであることを見逃すことはできない。この意味では年間1mSv被曝量は上限値として厳守されねばならない。

A内部被曝について

これまで放射線量をめぐる議論の多くは外部被曝についてであり、放射線も透過力の強いガンマ線についてであった。しかし福島第一原発事故によって飛び散り、あるいは漏れ出した放射性物質はガンマ線だけを出しているわけではない。ヨウ素131、セシウム137は主にベータ線、ガンマ線,ストロンチウム90は主にベータ線を出すが、プルトニウム239はアルファ線を出す。アルファ線は透過力は弱く「紙一枚」で止められ、それより透過力の強いベータ線も「薄いアルミニウムの板」で止められるので、外部被曝についてはさほど問題にされなかった。

しかしここまで放射性物質が広範囲に、しかも大量にまき散らされている現実で、重大視しなければならないのは内部被曝である。(実は事故当初から内部被曝の問題は重大であり、3ヶ月以上経った現在では、当初押さえておくべきだったデータ等も押さえられなくなっている、との指摘が多い。)呼吸や食物・水により体内に取り込まれた放射性物質が体内に留まり、それの出すアルファ線・ベータ線が持続的に細胞を破壊していく。特に深刻なのはアルファ線であり、その放射性物質が付着した近傍の細胞を強力に破壊していく。ベータ線・ガンマ線から受けるのと同じエネルギーをアルファ線から受けた場合、生物な被曝として20倍を見積もることになっている。

内部被曝では子供や妊婦では危険性が高まると考えられている。福島市在住の子供10人の尿を、フランスのACROが検査した結果、全員からセシウム137、セシウム134が検出され、子供たちのガンや心臓病の危険性が指摘されている。

原発作業者、あるいは福島県の住人について、「ホールボディカウンター」の検査の必要性が強調されてきた。内部被曝を調べるための道具であるホールボディカウンターは身体から漏出するガンマ線を検出することで被曝を調べる装置であり、高価で数も少なく(福島県は5台購入の費用として5億円を計上)、かつ必ずしも「内部被曝」の全体を把握できるとも言えない。しかしそれでも更に正確な状況を把握する為には、ホールボディカウンター検査が必要となる。福島の保護者達は、全ての子供たちにホールボディカウンター検査を受ける体制を政府に要望した。

4)東大教員有志の大学当局批判

東大当局の、「東京大学環境放射線情報」の内容に関して6月13日「教員有志」(世話人、物性研押川正毅氏等)から総長に要請文(賛同50名以上)が提出された。東大当局のページでは、「少々高めの線量率であることは事実ですが、人体に影響を与えるレベルではなく。健康にはなんら問題はないと考えています。」柏の放射線量について「測定地点の近くに天然石材や敷石などがある場合には、0.3μSv/時に近い値を示す場合もあります。」との記述があり、更に本郷(1)、柏(1)での測定値が中断された。これらの点について、教員有志は以下の要請を行った。
「1.放射線のリスク評価に関して、少なくとも、低線量でもそれに比例したリスクは存在するという標準的なICRPモデルに基づいた記述とし、「健康に影響はない」と言う断定は避けること。
2.柏の放射線量が高い理由について、原発由来の放射性物質が主因であると明記すること。
3.測定中断をしている本郷1と柏1の計測を(頻度を下げても良いので)再開継続すること。」
6月14日、大学側は特段の説明もなく内容を大きく変更し、「人体に影響を与えるレベルではなく、健康にはなんら問題ない」との記述削除した。東大の説明を住民に対する「安全」説明の根拠としていた周辺自治体はその根拠を失った。松戸市、流山市など、東大の記述を根拠としていたいくつかの自治体は住民への説明を削除した。

教員有志は7月1日更に2回目の「要請文」を67名で提出している。その内容は
「I. 「東京大学環境放射線情報」Webページの内容に関する要請
1) 記述の変更に関する説明
a) 記述の変更点とその理由を標記Webページに記載する。
b) Webページの記述に関して責任を持つ組織とその責任者の名前を提げる。
2) 放射線量のデータと説明に関する要請
a) 柏周辺は地質学的には自然放射線がむしろ低い地域なので、地質の影響によって高いと言う説明を削除する。
b)柏(1)、柏(2)での過去のバックグラウンドの測定値について、具体的なデータを示す。
c)柏(1)の過去の測定値が 0.08〜0.16μSv/時 であれば、これを0.1〜0.2と「丸める」のは適切ではないので、表中の平時の値にも0.08〜0.16 と記入する。
d)柏(1)と柏(2)で観測された放射線量の差が自然バックグラウンドの差によると言う説明は合理的ではないので、これを削除する。
e) 本郷(1)、柏(1)での測定と結果の公表を、頻度を下げても再開する(必要があれば私たち有志も協力致します)。
3) 健康リスクの説明に関する要請
a) 放射線量に比例して健康リスクが生じると言う標準的な見解を明記する。
b) 一般公衆の法的な被曝限度は 1mSv/年 であることを明記する。
c) ICRP勧告を引用する際には、勧告の趣旨を尊重した引用を行う。
II. 汚染状況の詳細な調査に関する要請
柏キャンパスのより多くの地点で放射線量や、土壌を汚染している放射性核種の測定などを行って汚染状況を明らかにし、その結果を公開する。」

東京大学のWebページが、「ホットスポット」として住民が不安を表明し対策の要求が出されている柏市について、あるいは柏キャンパスについて、放射線量は「必ずしも福島原発事故の影響ではない」「健康に影響はない」といういわば「安心・安全キャンペーン」になっていたことに対し、この教員有志の活動はこれを批判し、歯止めをかけたものと言える。教員有志は同時に、東大が学内の二つのポイント(本郷(1)、柏(1))で測定値をオープンにしない、または測定をやめたことに対し、これの公開と測定の継続、また柏キャンパスのさらなる測定を求めている。

これは年間1mSvをめぐる問題を含んでいると言える。警戒区域、計画的避難区域以外の地域では、教員有志の指摘にもあるように、法令上も年間1mSv以下が守られなければならない。その点では柏のみならず本郷、駒場においても同じ問題を含んでいると言わねばならない。東大職連は本郷キャンパス、柏キャンパスで独自調査を行い、年間1mSvを超える線量を各所で観測している。(間もなく公開の予定)

被曝直下の福島では、「警戒地域」「計画避難区域」「避難勧奨地点」緊急指定のない「平時区域」が入り乱れ、混乱の極みにある。そこで働き、学び、生活する人達をどう守りサポートしていくのか、それは東京の地において全く同じ被曝網の中にあることを知ることから、まずはじまる。年間1mSvが安全とする行政、管理者への対決・対峙が求められている。

東大で被曝させられるのは職員・教員・学生であり、学内には保育所もあれば妊娠した女性も働いている。被曝に関する対処には東大当局が責任を負っている。われわれはこれを厳しく監視して行く。

福島原発事故(2)
放射性物質拡散による被曝を許さず、安全基準を作り上げよう

内閣府に所属している原子力委員会や原子力安全委員会から2009年度版の白書がそれぞれ出されている。JCO臨界事故10年目に当たり原発の危険性が強調されていると思いきや、原発によるエネルギーの安全保障や温室効果ガス排出削減寄与が謳われ、津波を想定した危険性の指摘など皆無である。放射性物質はCTスキャンを始め医療分野や農業・工業分野に広く利用され貢献しているとも強調している。
昨年度の白書はどうなったか問い合わせたら出版しないことになったという。射性物質は無味、無臭、肉眼でも見えず、皮膚などに感じるときは、もうかなり障害を与えてしまう物質である。白内障など「閾値」のあるらしい障害も知られているが、ガンなど多くの障害にはこれ以下で安全だという閾値はなく、被曝線量に比例して障害発生の確率は高まる。かなりの潜伏期があり障害が生じる不安・危険性は生涯続く。被曝線量が大きい時,すぐに現われてしまう急性障害と被曝線量は少なくても後で生じる晩発性障害とがある。
放射線量は時間当たり「××シーベルト」とよく言われるが(シーベルトは生物への影響を考慮して測定した放射線量)、被曝を受けた累積放射線量にむしろ注意しなくてはならない。
微量な放射線量でただちに影響が出なくても将来、ガンなどになる危険性が高まることは否定できない。広島・長崎の原爆被爆者のデーターなどから100ミリシーベルトを超えると発がんの危険性がわずかながら高まることがわかっている。今回の大震災から2週間後の福島市の大気の放射線量は発表された数値では毎時0.004ミリシーベルト程度だったが、この地でずっと暮らしていかざるを得ない多くのヒトは同じ状態が最低限続いたとしても約2年半で累積放射線量が100ミリシーベルトに達してしまう。「××シーベルト」以下だから「ただちに影響は出ない」などとは絶対に言えない。
広島・長崎の原爆、またこの間の多くの原発事故に対し、これまでの政府は将来にわたる補償責任逃れや裁判での不利な証拠としての採用を避けるため、放射線障害の疫学や追跡調査の内容を秘密裏にしたり、調査自体を避けてきた場合すら多い。今回の事故を通じ、いったいどの程度の被曝がどのような健康被害につながるかを、正しく公開していないこと、極力隠してきたことが明らかになってきた。

1、原発は原爆と表裏一体

原料は共にウラン。ウランの原子核に中性子をぶつけると原子核はほぼ半分に分裂し2個(または3個)の中性子を出す。この2個の中性子がさらに2個のウラン原子核を分裂させ4個の中性子を出し、ねずみ算式にこの連鎖反応が続く。ウラン原子核を100万分の1秒 で連鎖反応を続けさせ生ずる莫大なエネルギーを利用したのが原爆である。原発は連鎖反応を爆発的に起こらないようにさせてエネルギーを小出しにして利用したものである。そのため冷却装置が必要となるが、今回のように冷却装置が作動せず、また格納容器すらが「破壊」されつつあり、レベル7に至ってしまった。原発稼働中に放射性物質を含む死の灰が積り、漏出が続いている。12年前の東海村での核分裂反応により、東大病院で死亡した2名の下請け労働者の被曝線量は1万8000ミリシーベルトと8000ミリシーベルトと推定されている。

2、放射線の種類・性質・作用

1)原発からの廃棄物である放射線にはいろいろある。アルファー線(ヘリウム原子核の流れ)、ベーター線(電子の流れ)、ガンマー線やX線(光の一種でエネルギーの強い電磁波で透過力も大)、中性子線、陽子線などがある。これらの有無を確認するのがガイガーカウンターだが、これは体外被曝量を測定できるのみで体内被曝量を測定することはできない。べーター線、ガンマー線などは体外被曝、アルファー線は体内被曝に大きな影響を与える。
生物に対しての害作用は大きく、遺伝子DNAにも強い作用をもたらす。

広島・長崎の被爆者で未だ未認定の人も多い。広島・長崎の被爆の追跡調査では10~50ミリシーベルトより低線量被爆でも発がん死亡率が増加すると示唆する人もいる(慶応大学医学部の近藤誠氏)。ガンと遺伝子については発ガンに働く発ガン遺伝子、ガンの抑制に働く抑制遺伝子が知られている。正常では発がん遺伝子の働きは抑制され、ガンを抑える抑制遺伝子が働いている。これが放射線により逆の働きになってしまう可能性は否定できない。従って個人差があるのは当然であり、誰にも共通の安全基準というもの自体本来困難で厳しい設定である。作業者の被曝線量の上限を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトへと便宜的に引き上げたり、学校の運動場の汚染について、被ばく上限を1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げたりする恣意的な操作が大きな問題になってきたが、放射性物質の「安全」な範囲がいかにいい加減にしか決められてこなかったかを示している。
細胞分裂の激しい器官や発達の過程にあるもの、成人よりも子供、子供よりも胎児はより放射線に対する作用を受けやすい。したがって低レベルの放射線の危険性については当然乳幼児の安全を第一の基準にすべきものである。子供がいるのは学校のグラウンドだけに限られるわけではない。

(注1)DNAは糖とリン酸が長く繋がった2本の鎖を塩基と呼ばれる物質同士が弱く結合した二重らせん構造をしている。放射線により生ずるDNA損傷には、このらせんの切断、また塩基の変化や他の塩基への置き換えなど100種類位が知られる。塩基の特定の3つの組み合わせが特定のアミノ酸を指定し、その多くの結合でタンパク質が作られるので、塩基の変化は作られるタンパク質の違いとなって現われる。細胞が増殖するのに必要な細胞分裂には多くのタンパク質が働いているが、このたんぱく質の働きが異なれば細胞は増殖できなくなる。またDNAは遺伝子だからこれが切断されると分裂不可能となる。

3、放射性同位体元素(RI)の代謝について

原爆製造者がヒットラーに「この物質は骨と臓器親和性があり、沈着して離れにくく効果がある。ただし50万人まで殺せる確信が持てるまでは使用は慎重に」と語ったといわれるストロンチウム90 はRIの代表的なものである。
今問題になっているRIの例をいくつか挙げると
131ーI(ヨウ素) 経口摂取するとその20~30%は甲状腺へ。残りは腎臓から排出される。生物的半減期は138日、有効半減期は7.6日 239ーPu(プルトニウム) ウランの核分裂で生じる。重い元素だが微粒子は0.3ミクロン位で土埃で風と共に運ばれる。傷口から侵入すれば血管内に侵入しリンパ節、骨、肝臓などへ沈着する。汚染した空気を吸入すれば肺へ取り込まれ肺がんの危険性が増す。福島第一原発第3号機はPuとウランの混合物(Mox)を燃料とするプルサーマルを用いていた。Puの貯蔵量は東電がトップで210Kgもあるといわれる(長崎の原爆はPu型で6Kg爆弾である)。
(半減期について)
物理的半減期・・放射性物質は放射線を出して別の物質に変化していく。その量が半分になるまでの時間
生物的半減期・・体内に入り体内で量が半分になるまでの時間
これら2種類の半減期から生体への影響を考慮して考えられたものが有効半減期である。この3つの関係は(1/有効半減期)=(1/物理的半減期)+(1/生物的半減期)となる。

  物理的 生物的 有効 蓄積場所
ヨウ素131 8日 138日 7.6日 甲状腺
セシウム137 30年 70日 70日 全身
プルトニウム239 24400年 200年 198年

4、安全な被曝防止「基準」の設置を

原発事故が起こるとまず放射能雲(希ガス以外にヨウ素、セシウム、ストロンチウムなどの放射性元素が微粒子状態で浮遊している雲)による体外被曝、また空中に浮遊したものを吸入すれば体内被曝の危険性が生じる。この微粒子はスギ花粉の10分の1 程の大きさしかなく放射能雲は風によって移動する。この移動量は単純に距離の2乗に反比例はしない。チェルノブイリの例では100kmより6倍も離れた600kmで(オーストリア地方)高濃度の値が報告されている。放射性物質は同心円状に広がるのではなく、風向きはもちろん、風力、天候、地形など多くの要因が作用していることを示している。半径××km圏内で同心円的に地域を区切って対策を講じるのは本当の脅威に対する対処ではない。最近突如「計画避難」地区指定を受けた、炉心から50km超の飯舘村では事故直後から高い値が測定されていたことが明らかになった。

@空中の汚染からの身の守り方
空気中からの放射性物質の汚染による体外・体内被曝を避けるためにマスクを着用する(濡らした木綿のハンカチ62.6%遮断、トイペ3枚重ね91.4%遮断)。また傷口からの侵入を避けるため素肌を外気にさらさないようにし、皮膚を汚染したら多量の水と石鹸で洗浄、また安全な場所についたら着用していたコートなどは人が近づかないような屋外に保管する。
屋内待避の場合は外気を遮断し換気扇は用いない。出来るだけコンクリートの建物内に窓際から離れた中心の部屋に避難する。自動車には車外からの放射線を遮る効果はない。避難する順番は妊婦、乳幼児、子供を優先する。
A水や野菜などからの防止
放射性物質は空中から雨とともに水源や地面に近い位置へと下降し野菜などを汚染する。飲料水を確保するにはポリ容器などを用意し、塩素が逃げないよう水は容器口元までいっぱいに入れる。放射線で汚染された食品・飲料水の対処には、牛乳や葉物の野菜はできるだけ避ける。やむを得ない場合は十分水洗する(植物の気孔から汚染された空気が入った場合は除けない場合もある)。汚染された水を使用せざるを得ない場合は、放射性ヨウ素などは除けないが、他の揮発性放射性物質を除くため煮沸して用いる。
B汚染された土壌の処理について
政府や各地での放射性物質の測定では初期に比べ空中や水中での値は減ってはきている。しかし空中に浮遊している放射性物質は、次第に地面付近に下降していく。このまま放置すれば次第に土壌中へと浸透し沈積していく。地表や土壌中の放射性物質の体内被曝の危険性は大人より低い位置で呼吸する子供の方が被曝の率が高い。土壌中の放射性物質の処理をどうすべきかが今後の大きな問題である。一部の被災地を国側が買い取るという案も出ているが行政や国からの明確な方策は提示されてはない。
C海洋汚染に対して
チェルノブイリの放射性物質の拡散と今回の拡散には大きく異なる点がある。福島原発事故の場合は、数万トン以上の汚染水を成分の公表もないまま、しかも垂れ流した後で明らかにした。諸外国からも「越境」汚染として大きな非難を受けている。沿岸から30Km以上離れた深さ30mや40mの海中からも放射性ヨウ素やセシウムが測定されている。水俣病では有機水銀が、食物連鎖の過程でいろいろなものを食べる生物ほど高濃度に蓄積されることが明らかにされた。放射性同位元素でもこのような場合は十分あり得る。またヨウ素は海藻に付着しやすいし、重いプルトニウムは海底に沈む。広い海ではあるが放射性物質は、墨汁のように散らばり薄まるわけではない。さらに放射性物質を含んだ海水(とりわけセシウム)は蒸発し、川や湖に落ちる。海だけではなく淡水にも影響を与え、半減期の長い放射性物質は生態系全体を循環しながら汚染地域を拡大していく。

野菜類に対する「暫定基準値」などの例からも、日本には放射性物質の拡散はないという考えが前提となっている。放射性物質の汚染から身を守る法律は一応あるのだが、原発現場の労働者や小・中学生の屋外活動の制限などの規制では、現状を追認するために都合よく数値は悪い方へと変更された。各国でも規制はあるがマチマチで統一されている基準もなく、国際放射線防護委員会(ICRP)の対策も不十分である。放射性物質は世界中、あらゆる場所へ拡散している。それから身を守るためには国内基準はもとより国際的な基準を決めることが必要である。

福島原発事故(1)
原発推進に加担した東大の責任は重大

T、想定された危険性を無視して引き起こされた過酷事故
「唯一の被爆国」から拡大する汚染、被曝

「レベル7」となった福島第一原発事故は依然終息の目処は立っていない。更なる悪化の可能性もある中、大量の放射性物質が既に陸に海に放出され、福島から近県へ、さらに関東各地まで広がりを見せており、予断を許さない。福島のみならず東北関東の各都県で、野菜、水等での汚染、土壌の汚染、さらに海産物にも放射性物質が検出されて、多くの人々が避難を余儀なくされ、あるいは生活基盤を奪われつつある。同時に現地で大量の放射線を浴びつつ除染・復旧にあたっているのは大部分東電の「協力企業」と名付けられた、下請・孫請けさらにその下請といった企業の非正規労働者である。

1945年、アメリカでの最初の核実験以来、アメリカによる広島・長崎への最初の原爆投下、第2次大戦後の米ソ冷戦体制下での繰り返された大気圏の核実験、そしてスリーマイル島、チェルノブイリ、福島の原発事故と、世界は被爆、被曝を繰り返してきた。原発は核兵器開発の必須の条件であり、世界中で建設が進められてきたが、放射線被曝については原爆も核実験も原発事故も違いはない。今回「唯一の被爆国」から、原発被爆が国内と周辺海域、さらに地球規模にまで拡大しようとしている。

菅総理、浜岡原発停止を要請

5月6日、菅直人首相は中部電力浜岡原発の現在稼働中の2基を含む全原子炉をの停止を要請し、中部電力はこれを受け入れると表明した。政府の地震調査委員会は浜岡原発直下で発生すると想定される東海地震が、今後30年以内に発生する確率は87%としており、今回の要請の根拠としてあげられている。ただし津波対策などで中部電力が2〜3年後の完成を目指している防潮堤の新設までを期限とした。

ここで改めて日本各地の住民による運転差し止めを求める原発訴訟を見ると、ほとんど住民側が敗訴してきた。稼働中の原発の運転を差し止める唯一の判決は、北陸電力志賀原発での2006年3月金沢地裁判決(井戸謙一裁判長)であり、志賀原発はM6.5の直下型地震を想定して設計されたが、想定を超える地震では外部電源、非常用電源の喪失、緊急時の冷却装置の故障、炉心溶融等が起きる可能性が大きいとしたものである。(判決後の2006年9月、国は耐震指針の改定、北陸電力が補強工事等を行ったため、高裁で逆転、最高裁で住民側敗訴となった。)今回の震災・福島事故は金沢地裁判決の指摘した危機が現実化したとも言える。運転差し止めを拒否した裁判所の責任も同時に問われている。現在稼働中か否かにかかわらず、今すべての原発について政府、司法、電力会社は問われているのだ。

東大中心の「原子力専門家」の責任

今回の福島第一原発事故について、これまで政府の「原子力委員会」「原子力安全委員会」「原子力安全・保安院」のメンバー、東電の幹部などが入れ替わり立ち替わりマスコミに向かって「事故は想定を超えた津波の規模による」、しかし「安全性は保たれている」「冷静に」を繰り返して来たが、その間に事態は悪化の一途をたどってきた。ついには「最悪のレベル7」と評価せざるを得なくなった。

これらの組織の要職にいるのは、大半が東大工学部の教授または元教授である原子力専門家、さらにはそれに連なる卒業生達、いわゆる「原子力ムラ」と称される一団の人々である。今頃になって安全性をチェックする組織を再編成・独立のものとする等、白日の下にさらけ出された「原発安全神話」の瓦解・瓦礫の手直しを図って右往左往しているが、所詮は同じサークルの中での役割分担の組み替えに過ぎない。

福島原発事故について、東電、原子力安全委員会をはじめとする原子力専門家達は、特に津波の規模を5m程度と見た対策が破綻したことを、繰り返し「想定を超えた規模」と言い訳してきた。しかし原発に対する地震・津波の危険性については、かねてから市民団体が裁判等で、あるいは議会での質問等で、さらに政府審議会等で指摘が出されていた。

中部浜岡原発(静岡県)の運転差し止め訴訟で、非常用電源が起動しないことがあるかどうかが争われたが、中部電力側の証人として出廷した斑目春樹東大教授(現・原子力安全委員長)はその可能性を「想定していない」と断言し、「可能性のあるものを全部組み合わせていったら、モノなんて造れない。どこかでは割り切るんです。」と説明した。東大の原発推進グループの代表の発言と言える。浜岡原発については2007年静岡地裁で住民の請求は却下された。

貞観地震・津波の研究
・・・福島原発について明確な危険性の指摘はあった

福島原発について最も明確な指摘は、平安時代869年に東北地方を襲った貞観地震・津波を研究した独立行政法人「産業技術総合研究所」の活断層・地震研究センター、海溝型地震履歴研究チームが行っていた。その研究結果は福島第一原発を巨大地震・津波が襲う可能性・危険性を指摘していた。

貞観地震・津波は「日本三代実録」という歴史書に記録されている。この研究は2004年頃から進められた石巻平野、仙台平野から福島原発の近辺までの広い範囲での地層の調査等が基礎となっている。この研究では、一つには空中写真判読により当時の海岸線を推定している。同時に多数の地点で大型ジオスライサー、ハンディジオスライサー、手堀式ピートサンプラー等を用いて掘削調査を行い、貞観津波の痕跡を追求して来た。貞観地震の津波堆積物は、915年に降下した十和田aテフラという白色細粒火山灰層のすぐ直下に分布することが確認されており、識別が比較的容易で、平野内で広域に対比することが可能であり、津波堆積物の調査によって貞観地震津波の浸水域を推定できるというものである。これによると貞観津波の堆積物は少なくとも宮城県石巻市から第一原発のある福島県浪江町付近まで分布しており、津波の土砂は当時の海岸線から内陸3〜4kmまで入り込んだことを突き止めている。

「また復元された浸水域に基づいて、津波の波源を数値シミュレーションによって求めた結果、宮城県から福島県にかけての沖合の日本海溝沿いにおけるプレート境界で、長さ200km程度の断層が動いた可能性が考えられ、M8以上の地震であったことが明らかになってきました。さらに同規模の津波が450年〜800年程度の再来間隔で過去に繰り返し起きていたこともわかり、近い将来再び起きる可能性も否定できません。」(AFERC NEWS 2010 8月)

2006年9月、経産省原子力安全・保安院より、改訂された原発の「耐震設計審査指針」に照らした耐震安全性評価の実施を指示され、東電が提出した耐震性再評価の中間報告案を検討する経産省の審議会が2009年6月に開かれ、ここでこの研究を担った産総研のメンバー岡村行信氏が審議会委員として「非常にでかいもの(地震)が来ているのが分かっている」と、平安時代の869年の貞観地震・津波を取り上げ、福島原発の危険性、改善の必要性を指摘していた。
スマトラ沖地震のように、幅広い震源域がほぼ同時に破壊する「連動型地震」を想定した対応を求めたが、東電側は「被害はそれほど見当たらない」と答えた。岡村氏は最新の研究から「納得できない」と追及した。その後に出された報告書案で「貞観地震と同程度の揺れは想定内」とし、現在の耐震構造で問題ないとの見方を示し、審議会事務局は「最終報告書で検討する」という形で収めた。

現実にはその指摘の通りの結果となった。東電の武藤副社長は3月25日「連動地震による津波は想定していなかった。貞観地震に対する見解が定まっていなかった」と釈明したが、岡村氏は「原発であれば、どんなリスクも考慮すべきだ。あれだけ指摘したのに新たな調査結果は出てこなかった。『想定外』とするのは言い訳に過ぎない」と話している。この警告を拒否した東電、及び安全・保安院、さらに安全委員会の責任は極めて重大である。

「原発震災」の危険性を指摘を無視した責任

今一つは、「原発震災」(現神戸大名誉教授石橋克彦氏の命名)の警告を無視したことの責任である。石橋氏は阪神大震災の後、97年にこの言葉を初めて使用してこれまでの原発の安全対策の不備を指摘した。

石橋氏の指摘@、政府が「活断層の上に原発を作らない、岩盤上に直接建設、最大の地震を考慮した設計」を謳っているのに対し、活断層がなくても過去の多くの事例から直下の大地震は起こること、当時の想定を遙かに超える地震が原発を襲う可能性を指摘。
A原発にとって大地震が恐ろしいのは地震動による個別的な損傷もさることながら、津波も含め、平常時の事故と違っていくつもの故障が同時多発する「過酷事故」の可能性であり、「たとえば外部電源が止まり、ディーゼル発動機が動かず、バッテリーも機能しないというような事態が起こりかねない」ことを指摘している。「冷却水が失われる多くの可能性…、炉心溶融が生ずる恐れ…さらに水蒸気爆発や水素爆発がおこって格納容器や原子炉建屋が破壊される…」という指摘。1997年のこれらの指摘は、2011年福島原発で現実のものとなった。
B2008年には石橋氏は「原発震災」を「地震によって原発の大事故(核暴走や炉心溶融)と大量の放射能放出が生じて、通常の震災(地震災害)と放射能災害が複合し合う人類未体験の破局的災害のことである。そこでは、震災地の救援・復旧が強い放射能のために不可能になるとともに、原発の事故処理や住民の放射能からの避難も地震被害のために困難をきわめて、無数の命が見殺しにされ震災地が放棄される。」と述べている。

石橋氏は「日本が多数の原発を建設した1960年代からの30年間たまたま地震の静穏期だったものが、95年の阪神・淡路大震災の頃から大地震活動期に入った」と述べている。原発の耐震指針は1978年に初めて作られ、1981年に一部改訂、以来25年にわたって使われた(旧指針)。「2006年9月に、ようやく大幅に改訂されたもの(新指針)が定められた。しかし実は既存の原発が一基も不適格にならないように配慮された感があって、新指針も、日本列島の原発の耐震安全性の確保に多くの問題を残している」と懸念を表明していた。

福島原発事故は、これらの指摘・警告を無視した結果であることは明らかではないか。これまで政府と電力会社は、豊富な資金、財政を運用して、財界、政党、現地自治体、地域住民、マスコミ、裁判所、そして大学などあらゆる分野、場面で反対の声を押しつぶして「警告無視」がまかり通る体制を築いてきた。大災害はこれの必然の帰結に他ならない。

U、民営下で進行する営利企業からの寄付講座を廃止せよ
東電、民営下の東大に5億円を投入

大学民営化=2004年「独立法人化」は、それまでの「大学自治」を終わらせ、文科省直轄支配の下、学長・運営協議会に権限を集中した。運営交付金の年々の減少を通じて、「外部資金」の調達に邁進する構造ができ上がり、営利企業からの寄付講座が推進された。

営利企業と東大の結びつきは「民営化」以前からあった。創立100年記念の100億円募金等はその先駆けであった。2004年の「独立法人化」を画期として東大への寄付講座は増加の一途をたどっている。医学系への製薬会社等からの寄付講座、重化学工業、建築業界、及び電力業界からの工学系への寄付講座、寄付研究、これらが主要なものである。

東電は中でも突出していると言える。「核燃料サイクル社会工学」1億5千万、「低炭素社会実現のためのエネルギー工学」1億500万等、10年で5億円の資金を注入している。このような東大あるいは東大出身の原子力専門家が、原発の危険性を指摘することなどあり得ないことであった。すでに取り返しのつかない原発大災害を引き起こした責任を、徹底的に追及しなければならない。

信用地に墜ちた東大は、営利企業との癒着・寄付講座を廃止せよ。

同時に、東大はこの構造の根幹にある寄付講座を廃止すべきである。
「東京大学憲章」は言う。
『東京大学は、この新しい世紀に際して、世界の公共性に奉仕する大学として、文字どおり「世界の東京大学」となることが、日本国民からの付託に応えて日本社会に寄与する道であるとの確信に立ち、国籍、民族、言語等のあらゆる境を超えた人類普遍の真理と真実を追究し、世界の平和と人類の福祉、人類と自然の共存、安全な環境の創造、諸地域の均衡のとれた持続的な発展、科学・技術の進歩、および文化の批判的継承と創造に、その教育・研究を通じて貢献することを、あらためて決意する。』
その東大が東電のカネにまみれている事実はすでに白日の下に晒されている。そのままの東大が他方で「公共性」「安全な環境」「諸地域の均衡」など唱えること等許されるものではない。「寄付講座」を廃止せよ。